MacBook Pro Retinaによる変化

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もともと、appleのretinaディスプレイという表現が好きではなかった。

携帯電話サイズの200dpi超の液晶などその当時から市場にあふれていたし、あくまでappleの優位性をアピールするマーケティングワードにしか聞こえていなかった。

ただMacbook Pro Retinaは訳が違う。世界初の横2880、220dpiという超高解像度・高精細液晶を搭載したこれまでにないPCであり、数字上でも他の製品に比べ圧倒的に優位にある。

高精細なディスプレイがPCに搭載されることは、単なるスペック的な新しさだけを提供してくれるものではなく、PCのユーザー経験をがらりと変えるもの、PCにとっての大きな転換点であると思っている。

1番の変化は、PCで文字を読む時の経験。PDFやwebなど、pcで文字を読む際はどうしてもまえのめりに画面を凝視し、マウスで画面を逐一スクロールしなくてはならない。(一度に大量の文字を表示しようとすると文字がつぶれ、視認できないため、表示できる文字数が限られる)

文字を読むという行為には過度なインタラクションは不要。ただ行為の連続性を阻害する要因にしかならない。

紙に置き換えれば、1ページが20文字で、1000ページある文庫本を想像してもいい。読んではめくりを繰り返す状態。そのような状態ではろくに内容も頭に入ってこない。

pdfや長い文章があったときについ印刷してしまうのは、文字を読むだけの行為に画面に多くの能動的な行動を要求されることを煩わしく感じてしまうからではないかと思う。

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一方retinaディスプレイでは、1文字1文字のディティールが上がり、背景と文字のコントラストが高くなる。それが故に、1文字を小さくしても十分な視認性が得られ、ひとつの画面に表示できる文字の数が飛躍的に伸びる。

没入を要求されない、デバイスとの過度なインタラクションを要求されない。

かつてのpcのように、文字を読むために前のめりになる必要はなくなった。
紙のように、ある程度の距離を置きながら眺めるように文章を読むことができるようになった。

これによって、画面で文字を読むことの経験が全く変わってしまったと思っている。
(解像度を上げなくても大きな画面にすればおなじ経験になるか、といえばそうではない。こんどは視線の移動が増え、目の負担が大きくなる)

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画像についてもretinaのメリットは大きい。文字のように多くを説明することはできないが、液晶の一粒一粒が目で見えないほどちいさくなることで、画面に画像が表示されているのではなく、画面に画像が「貼り付いている」ような印象をうける。

ここに液晶がある、という意識が若干弱まった印象。これはPCで何かが変わる、と言うよりはPC以外の「液晶感」を出したくないデバイスに使われた時になにかが変わる気がしている。

このように、PCへのretinaディスプレイの採用は単なるスペックの向上ではなく、PCでの経験を大きく変化させる重要な出来事だと思っている。

 

 

能書きたれましたがとりあえず触りにいってPDFでも開いてみてください。
そうすればわかるかと。

webは低解像度のために作られている。PDFがひとまずお勧め。
ただ、After RetinaなWebはどうなるのか。期待。

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One thought on “MacBook Pro Retinaによる変化

  1. 勉強になりました!すばらしい文章を書きますね。

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